0.プロローグ
時刻は午前。日差しは頂点に達しようとしている。辺りに人影はなくここ“踊る光の粒通り”は無人の静けさに静まり返っていた。
通りに一人の男が入ってきた。
男は細身で背が高く、黒いスーツを肩に掛け憮然として街を闊歩している。しかしその足取りは静かでぶれがなく通った背筋はいかにも隙がない。
通りの中ほどまで来た時、男は足を止めて空を見上げた。
燦然と放射する太陽。遥かな高みから見下ろす威光にも似た光は無情なまでに神々しい。
男は鋭い光線に目を細めた。
やがて男が再び歩き出した時、この枯れた街にいないなずの人の姿を認めた。
「よお。レイン・フォース」
通りの物陰から現れたのは、今歩いていた男とは対照的に背が低い、がっしりとした体格の男だった。
「誰だお前」
行く手を阻まれた男はそこで足を止めた。
「一昨日ぶちのめした野郎のことなんざ覚えちゃいねえってか。ふてえ野郎だ」
男は煙草を噛みながら痰の混じった唾を白い石畳の上に吐き付けた。しかし鳥打帽の下で光るいかにも狡猾そうな青い瞳はなおもレインに向けられていた。
「グロッソか。何か用か?」
一昨日の晩、彼がたまたま立ち寄った『ブルーノの店』に居たのが、このグロッソとかいう男であった。
ブルーノの店は、レインが三年前まで住み込みで働いていた賭場場を兼ねた酒場である。
「見てわからねえのか?」
グロッソがそう言うとグロッソが出てきた場所から三名の男が姿を現した。
素早く背後に視線を走らせると後ろにも三人、拳銃を持った男がすでにそこに立っていた。
「なるほどな」
敵はグロッソを入れて全部で七人。武器を手にしているのは後ろの三人だけだが、各々に同じ備えがあることは明白だった。
「膝を付いて詫びを入れるってなら考えてやってもんいんだが?」
グロッソは顔を覆っている茶色い髭を撫でた。
「馬鹿言え」
レインはそこに突っ立ったまま、居並ぶ男達の顔を見回した。
「兄の姿が見えない様だが?」
グロッソの男は威勢も体格も良い、兄の用心棒がごとき男だったが、この場にはその姿はなかった。
「アホかお前。兄は俺だよ一昨日てめえにぶちのめされて今家で唸ってんのが弟だ」
グロッソは吐き捨てるように言った。
一昨日ブルーノの店を訪ねた時、グロッソ達が別の客と揉めていたので、見かねた店主がレインに仲裁に入るよう頼み、やむなくそれを引き受けたが、その時向かって来たのがそのグロッソの弟であった。
グロッソの手下に袋叩きにされ、すでに虫の息であった客に止めを刺さそうとしていたところ、背後から現れたレインに振り上げた拳を掴まれた。
そしてその腕を振り払い、今度はレインに向って行ったところ、逆に顎を叩き割られ、打ちのめされた。
「何故俺の居場所がわかった?」
今のレインはこの街の人間ではなく、彼がここにいることを知っているのは仲間内でも少ない。
「さあな?」
不動の鉄皮面が自らの身を案じているかの様に見えたグロッソはほくそ笑んだ。
しかしレインには大方の見当が付いていた。
「そいつ顔に大きな傷があるだろ?」
レインはそう言ってスーツを握っている左手で自分の左頬を指した。
グロッソの表情が一瞬だけ変わった。
「何で知ってやがる?」
うっかりそう言ってしまったことをグロッソはただちに後悔した。しかし自分の動揺を悟られたくない男は内心ですぐに開き直った。
「さあな?」
グロッソは髭と同じ色の鳶色の眉を吊り上げた。
「てめえ……」
グロッソは古ぼけたジーンズの後ろに刺した拳銃を取り出した。
「まずは手を上げて貰おうか。いいか?余計なことは喋るなよ?」
そしてグロッソは仕切り直す様にレインに銃口を向けた。
レインは掴んでいた上着を手から放し、大人しくグロッソに従った。
「お前はこれからカッジャーノのところへ行くつもりだな?」
カッジャーノは近年台頭してきた三つの新興勢力の一つで、ボスのカリオ・カッジャーノは年はそこそこだが、中々頭の切れる男だった。
「ああ」
「誰に頼まれた?」
「俺を殺す様にお前達に頼んだ男にさ」
グロッソは困惑した。
「お前を殺す様に頼んだ男?やつか?」
名をフォルテ・ルシアーノといい、ブルーノの店でグロッソ達にレインへの襲撃を持ちかけた男だった。実はフォルテはあの晩、薄暗い隅の席に座ってレインとグロッソ一味のやり取りをずっと見ていたのであった。
「そうだ」
レインよりも三つ年上の男で、レインと同じ施設で育ち、レインが13歳になった少し後、彼らが育った施設で騒動を起こしそのまま闇に消えた男だった。
それはたかだか少年同士の抗争に過ぎなかったが、多くの死傷者を出し、保安部隊が出動し、新聞の一面を飾るほどの事態となった。
「意味がわからねえな。何でお前とカッジャーノの間に入った野郎が、お前を殺すんだ」
フォルテはカッジャーノ達をレイン達に引き合わせて潰し合いをさせようとしていたが、それを読んだカッジャーノが【フェルボーニ】側に寝返ったのである。
フェルボーニはレインが属する【カルロトッド】と共にこの国に君臨する二大組織である。
西の雄をカルロトッドとすれば、東の覇者は完全にフェルボーニだった。
「やつはカルロトッドとカッジャーノを使ってフェルボーニを潰したかっただけだ」
グロッソは思案した。
「……それとてめえを殺すことに何の関係がある?」
ただの街のゴロツキであるグロッソにフォルテが何を考えているのかなど知る由もないが、見かけほど馬鹿ではなかった。
「俺達がカッジャーノの行動を知らないとでも思っているのか?」
しかしカルロトッドはカッジャーノの企みを見抜いていた。
そこでカッジャーノと同じ新たな勢力の一つであるアルファーノに話を持ち掛けたのだ。
「お前はカッジャーノのところへ行くんじゃねえのか?」
多分フォルテがグロッソに話したのはそこまでであったろう。
「それはやつがお前にそう言っただけだ。実際のやつの狙いは俺達とアルファーノが接触することを止めることだ」
「なら何故やつは自分のとこの人間を使わない?野郎はまるで、てめえがここに来るのを知っていたかの様だったぜ」
レインを待ち伏せする為に仲間と地図を見ていたフォルテは、例え回り道だとしてもレインならここを通るだろうと密かに直感していた。
レインはこの街に来る時、すでにカッジャーノかフォルテか、正体はわからないが襲撃を受けており、それを警戒してコースを変えただけであったが、それが裏目に出たのであった。
しかしその選択は確かに付け入る隙を与えていた。
「さあな。それは俺にもわからん。ただやつは俺を殺すことを計画していた。ただそれだけのことだ」
レインにも何故グロッソが自分の前に現れたのかよくわかっていなかった。
考えられるとすれば、ブルーノ店にフォルテがいた位だが、それは偶然としては出来過ぎている。しかし実際にレインがいたあの場にフォルテもいたのである。
グロッソはレインが嘘は言っていないと判断した。
「どんな野郎なんだ?そのフォルテって野郎は?」
カルロトッドとフェルボーニを頂点とし、その下にカッジャーノ、アルファーノ、そしてバルサーノという三つの組織が続いているのが現代の構図であった。
フォルテはそうした勢力争いに敗れた者達をまとめ上げ、急激に組織を拡大させた、いわば第三陣営であった。
フォルテもそしてフォルテが築いた連合体もまた、近年まで地下に潜んでいたが、昨年の大虐殺を皮切りに一気に勢力図を塗り替えにきていた。
大虐殺とは、フォルテが計画した会合のことで、組織のボスや街の要人を集め、その場で一挙に殺害した事件のことである。
「去年ロレアスで起きた事件は知っているな?あれは恐らくやつの仕業だ」
「いかれた野郎らしいな」
「そうだな」
幼少の頃から彼はフォルテを知っているが、何があろうとも決して目だけは笑わないあの表情をよく覚えていた。レインとは対照的によく喋り、冗談を飛ばすにも関わらず、目だけは笑わないのである。そしてその目がしばしば人を恐れさせた。
「お前はやつと話したんだろ?そう思わなかったか?」
レインが言った。
酔っていた上に間近に座っていても薄暗かったので、はっきりとは覚えていないが、しかし確かに何か危険を感じさせる男ではあった。
グロッソは顎鬚を撫でた。
「さあな。ただ野郎はお前を殺せば俺達を仲間にしてくれると言っていたぜ」
グロッソもまた”恐怖の力”を求めるものではあった。
「聞きたいことはそれだけか?」
レインがそう言うとグロッソは隣の男と顔を見合わせた。
「そうだな」
孤立した獲物ににじり寄るがごとくグロッソ達がゆっくりと近付いてきた。
「いくらお前が強いと言ってもな」
グロッソはレインの顔に狙いを付けた。
確かに丸腰の戦闘ならば彼に敵う者は世界中を探してもそうはいないだろう。
「あばよ」
グロッソが引き金を引いた時、レインはすかさず大地を蹴り出した。
それと同時に雨あられと撃ち込まれる弾丸。四方からの一斉射撃。しかし一身を弾丸にした男にはただ一つとして当たらない。
「こいつ……!」
強引に弾幕を掻い潜り、包囲を打ち破ろうとする男の身のこなしにグロッソは言葉を失った。
「撃て!撃ち殺せ!」
レインはまず彼から見て左側にいた男に襲い掛かった。
敵もすぐさま反撃に出たが、皮一枚で銃撃を躱し、拳銃を握る相手の腕を掴み取り、がら空になった右顎に渾身の左拳を食らわした。
しかし戦場は絶えず流転する。
今倒した男が倒れるよりも早く弾丸が飛んできた。
しかし踏みとどまることを知らない猛禽は、立ち止まることを知らない。
グロッソを目掛けて走り出したが、一番初めに右側にいた二人の男が、彼とレインの間に立ちはだかった。
「やつを近付けさせるな!殺せ!」
レインはさらに左に回り込み、二人の標的を側面からの攻撃の盾にした上で、瞬く前に距離を詰めた。
「こいつ……!」
まるで引き下がることを知らない男を前に、グロッソの手下が撃ち返して来たが、男は素早く体を開き、そしてその勢をかって逆側に腰を切り、右拳の一閃で討ち取った。
そして左側に立っている男に狙いを定め、敵が引き金を引くよりも早く左脚でその銃を蹴り飛ばし、右手の底で相手の顎を打ち抜いた。
その動きは流れる水のごとく淀みがない。
「畜生が」
依然としてグロッソが優位であることに変わりはないが、囲いは破られ、三人の手下を失った今、獣の牙が迫ってくるのを感じぜずにはいられなかった。
レインはマクバーレンの屋敷のステップに飛び乗り、一目散に走り抜けた。
「今だ!殺せ!やつを殺すんだ!」
グロッソの怒号が飛び、銃弾がカンテラにぶち辺り、ガラス窓を破砕する音がけたたましく鳴り響いた。しかし男は弾丸を置き去りにし、一気に柵を飛び越えて再び街路に舞い降りた。
「何て野郎だ」
焦燥か陽光か、グロッソの額に脂を滲ませた光の粒が滲んでいた。
通りの入り口側、レインから見て左側にグロッソとあと一人、残る二人は出口側、レインの正面に立っている。
ーーまずはお前達からだ。
レインは着地と同時に踏み込みをかけ、今度は右側から攻め込んだ。
「くそったれ……!」
残り少ない弾丸を放った男の銃弾は空を切り、マクバーレンの屋敷の柱に当たった。
レインは敵と正面から対峙し、相手に最後の一発を撃たせると、下から繰り出した左の拳で敵を沈め、さらにもう一人の男の攻撃を躱した上で接近し、差し出され手を捻り上げて銃を奪い取り、水平に打ち込んだ左拳で跪かせた。
その隙を突いてグロッソが弾丸を放ったが、闘争の最中に側面からの攻撃を失念する男ではなかった。
「何をやっていやがる」
すでに残りはグロッソとあと一人。
レインはもはや歩いていたが、敵もまたレインが近付くのを待っていた。
「今だ!やれ!」
グロッソが言い放つと同時にレインも加速した。
まずはグロッソの最後の砦に狙いを定め、敵の抵抗を全て躱した上で、天高く振り上げた右脚をその頭上に振り下ろした。
こうしてグロッソの牙城は崩壊した。
「いかれてやがる」
忸怩たる思いに駆られてグロッソがそう言った。
グロッソが引き金を引こうとしたが、レインもまた素早く銃口を向けそれを制した。
「くそったれ」
すでに孤立した男にもう一人の男が悠然と歩み寄る。
「終わりだ」
そして追い詰められた男はナイフを取り出し最後の牙で向かって行った。
男は銃を投げ捨て、敵の刃を躱し、相手の頭部に左手を添え、右膝からの一撃で最後の敵を葬った。
辺りに再び沈黙が舞い戻り、”踊る光の粒通り”は静寂に包まれた。
男の頬を光の雫が伝う。
ふと見上げるとそこには、容赦なく照り付ける太陽が君臨していた。その光は全てに冷酷でそして全てに等しい。
男は上着を拾い上げ、通りに転がる七名の男を後に、そのまま出口へと去って行った。
